一番最初の症状
初夏のある日の早朝、おとうたんは、自宅のキッチンで水道の栓を開けずに立ち尽くしていて、おかあたんに「どうしました?」と聞かれて、「どうやるのかわからない。」と答えそうです。その後、自力で歩いて寝室へ戻り、布団に横になっていました。ひっくり返るという事ではなかったようです。静かに移動して、横になったそうです。
そして、おかあたんが、私に「お父さんが変なのよ、来て。」と言って寝ていた私を起こしに来て、私は飛び起きました。横になっているおとうたんに声をかけると、「う~ん」と小さくうなって少し目を開けている状態です。すぐに私が救急車を呼び、その数分後に救急隊が来たときは、もう半分意識がなくなっていました。呼びかけにも応えず、身体を動かすこともなく、死んでしまったのかと思う感じでした。呼吸はしていたので、亡くなってはいないのだけはわかったのですが、何をすることも出来ず、救急隊の方がバイタルをとったり病院と電話のやりとりをしているのを呆然とみているだけでした。
すぐに救急病院に搬送されました。家族は待合室で待機なので、どんな検査をしたのかは全部は把握できなかったのですが、CTと血液検査と尿検査をしたのではないかと思います。
脳出血と判明
診断は、「後頭葉」の「皮質下出血」で、頭の後ろ右側のあたりに、結構広い範囲に出血が認められたという状況でした。救急室から脳外科の先生へ連絡をして頂いて、おとうたんはICUへ移されました。
脳外科の先生とのお話では、3~4日がヤマ、と言われました。脳出血は、血管が破れてしまっているので、出血がすぐに止まりません。細い血管からの出血でもじわじわと出て止まるまで時間がかかります。そうすると、出てきた血の塊が脳を押して、頭蓋骨の中で脳に圧力をかけてきます。血が止まらないと、圧力がかかり続けます。そしてそのままだと、脳細胞は死んでしまいます。
それを避けるために、頭蓋骨を部分的に切り取って、圧力の逃げ場を作ってあげないと命が危ない状況です。そうなった場合、切り取った頭蓋骨は太ももに入れて保存するんだそうです。
脳圧があがって脳浮腫、つまり脳がむくんだ状態になってしまっているのを、おしっこで水分を出すように促す薬を点滴して数日間様子を見て、開頭手術をするかどうかを判断するということでした。
おとうたんはずっと頭が痛かったはずで、それに加えて、すでに半盲になっている、つまり、視野が半分見えなくなっているとのことでした。視覚野のところで出血しているため、視界の外側部分が欠けて見えなくなってしまっている状態だとのことです。自分のこととして考えたら、血の気が引く思いです。ある日突然視界が半分になってしまうなんて、考えるだけでも恐ろしいことです。
兄弟の励ましのありがたさ
数日間は生命の危険だとのことで、待っている時に、おとうたんのお兄さん(私からしたら伯父)に連絡を入れたところ、兄弟全員集合となって、みんなで駆けつけてくれました。
兄弟の面会の時には、おとうたんの意識はぼんやりながらも回復していて、全く元気はないのだけれど、頷く事は出来る状態でした。それなので、おとうたんのベッドの横でみんなで励ましてくれました。おとうたんは理解しているんですね。涙を流しておりました。
おとうたんはお兄さんが大好きなので、再会出来ただけでもうれしかったんではないかと思います。危険な状況の時、兄弟というのはありがたいと思います。心の支えになります。
その日は、1日がとても長く感じた日でした。
開頭手術は回避できた
そして、4日目の朝に、病院から連絡があって、病院へ向かい、先生とお話をしました。開頭手術はしないで済んだとのことでした。出血が止まってきているとのことでした。おとうたんがヤマを超えたんです。100%安心が出来るわけではないとしても、ほっと出来る時間がいただけただけで、家族としてはうれしかった瞬間です。
CTの画像で真っ白になっている出血部分は、次第に血液が自然吸収されて無くなるのだそう。そうか、元には戻らないのだ、と、改めて理解をしました。
ICUから一般病棟へ移動
やがて、ICUを出て一般病棟へ。急性期と言われる発症から100日位の間は、一般病棟で治療をします。毎日点滴で脳の浮腫をとる薬を入れます。そして、リハビリが始まります。急性期の間は回復するスピードが速いらしく、その間にできるだけリハビリを集中してやるとのこと、特に、半身麻痺が出ている場合は、拘縮予防のためにも早めにリハビリは始めるのだそうです。
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